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長崎の郷土料理|受け継がれる味と食の物語
グルメ
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長崎の郷土料理|受け継がれる味と食の物語

長崎の郷土料理には、海外との交流の歴史がそのまま刻まれています。16世紀の中ごろから中国やポルトガルとの交易が盛んになり、鎖国の時代には出島のオランダ人からも西洋料理が伝わりました。こうして和・華(中国)・蘭(オランダ)が合わさった「和華蘭(わからん)」と呼ばれる食文化が花開きます。一方で、島原の乱や飢饉、戦国時代の合戦など、土地の歴史から生まれた料理もあります。この記事では、農林水産省の郷土料理データベースをもとに、長崎に受け継がれる郷土料理とその背景を紹介します。個別の店の料金や営業時間は変わることがあるため、訪問前に各店の案内で確認してください。

和華蘭の食文化と卓袱料理

農林水産省によると、長崎の食文化は、海外の食文化が流入するまでは鰯などの魚やサツマイモなど地元の食材を食べる素朴なものでした。16世紀中ごろから中国やポルトガルとの交易が盛んになり、江戸時代には出島のオランダ人から西洋料理が伝わった結果、卓袱料理(しっぽくりょうり)をはじめとする和洋中が合わさった「和華蘭」の文化が生まれました。豚の角煮も、中国の東坡肉(トンポーロー)が卓袱料理の東坡煮となり、やがて単体の料理として広まったものとされます。長崎では今も、皮付きのバラ肉を甘めに煮込む原型に近い作り方が主流です(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」長崎県)。

南蛮渡来の味:ヒカドと浦上ソボロ

  • ヒカド: 1600年代初期から長崎に伝わる郷土料理です。ポルトガル人の宣教師や貿易商が寒い時季に食べていたシチューが地元に広がり、地域の野菜や魚、鶏を使う独自の作り方が確立しました。名前はポルトガル語で細かく刻むという意味の「Picado」に由来し、すりおろしたさつま芋でとろみをつけるのが特徴です。料亭では卓袱料理の一品としても出されます(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」ヒカド)
  • 浦上ソボロ: 長崎市の浦上地区が発祥です。1500年代後半、キリスト教を布教していたポルトガル人宣教師が、肉を食べる習慣のなかった信徒に豚肉を食べさせようとしたのが始まりといわれます。名前に「そぼろ」とありますが挽肉は使わず、細切りの豚肉を揚げかまぼこや糸こんにゃく、もやし、ごぼうなどと炒め煮にします。長崎県では学校給食の定番メニューです(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」浦上ソボロ)

歴史から生まれた料理:具雑煮と大村寿司

島原半島を代表する「具雑煮」は、土鍋でつくる具だくさんの雑煮です。1637年の島原の乱で、籠城した人々が兵糧の餅と山の幸・海の幸を合わせて煮て食べたのが始まりといわれ、丸餅や鶏肉、白菜、ごぼう、干し椎茸などを入れます。2007年には「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれています(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」具雑煮)。

大村市の「大村寿司」は、室町時代に領地を奪還して帰還した大村純伊を、領民が押し寿司で祝ったのが起源とされます。食器が足りず、浅い木箱に米飯を広げて具を重ね、兵士が脇差しで四角に切って食べたという伝承から、地元では「勝ち戦の祝いの寿司」として祝い事に欠かせない料理です。砂糖を多く使うのは、貴重だった砂糖で来客をもてなした慣習の名残といわれます(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」大村寿司)。

飢饉を越えた知恵:六兵衛

島原と対馬に伝わる「六兵衛(ろくべえ)」は、さつまいもの粉をこねてうどん状にし、つゆに入れた料理です。1792年、島原の眉山が崩壊して津波が起き、飢饉となった際に、深江村の六兵衛という人がさつまいもの粉と山芋を合わせた麺を考案したのが始まりといわれます。表面はつるつる、中はもっちりとした食感で、さつまいものほのかな甘みがあります(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」六兵衛)。

長崎で郷土料理を味わうコツ

  • 卓袱料理は料亭で出されることが多いので、予約の要否を確認する
  • 島原を訪れるなら具雑煮、大村なら大村寿司と、土地ごとの料理を選ぶ
  • 家庭料理は給食や総菜にも残っているので、スーパーの売り場ものぞいてみる

ちゃんぽんや皿うどんなど長崎の名物については、長崎のご当地グルメ完全ガイドも参考にしてください。

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Written by

佐藤 美紀

編集部

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