学び
高松・香川の食文化を歴史でたどる――讃岐三白と瀬戸内が育んだ味
雨の少ない土地が、豊かな食を生んだ
高松をはじめとする香川の食文化を読み解く鍵は、まず瀬戸内海式気候の「乾いた風土」にあります。中国山地と四国山地に挟まれた讃岐平野は一年を通して降水量が少なく、大きな河川にも恵まれません。江戸期にはたびたび旱魃(かんばつ)に見舞われ、人々は無数の「ため池」を築いて水を蓄え、稲作を守ってきました。日本最大級のため池・満濃池がこの地に残るのも、水との長い格闘の証です。
水に乏しいということは、米だけでは年貢を賄えないということでもありました。そこで讃岐の人々は、温暖で雨の少ない気候にかえって適した「商品作物」へと目を向けます。弱点を強みに変えるこの選択が、高松・香川ならではの食文化の土台を築いていきました。
讃岐三白――塩と砂糖が築いた台所
その象徴が「讃岐三白(さぬきさんぱく)」です。これは江戸期から讃岐で盛んに生産された白い特産品を指す言葉で、最終的に砂糖・塩・綿の三品に落ち着きました(幕末から明治にかけては小豆や米を数えた時期もあります)。綿は食べ物ではありませんが、残る二つ――塩と砂糖――が、香川の台所を根底から支えています。
塩は、波が穏やかで日照に恵まれた瀬戸内の海岸に広がる塩田から生まれました。讃岐の塩は、播州赤穂と並ぶ良質な産地として知られたほどです。砂糖はさらに劇的で、高松藩五代藩主・松平頼恭(よりたか)の殖産政策のもと、薩摩由来の製糖技術を学んだ向山周慶らが、1790年に白砂糖づくりに成功したと伝えられます。以後、讃岐は全国有数の砂糖産地となり、藩に大きな富をもたらしました。雨の少なさという弱点を塩と砂糖という強みへ転じたことが、讃岐の食の出発点でした。
讃岐うどん――三つの恵みが揃った土地
「うどん県」を名乗るほどのうどん文化も、この風土の産物です。讃岐うどんがこれほど根づいた背景には、ひとつの土地に小麦・塩・いりこだしという三つの恵みが揃っていたことがあります。温暖で雨の少ない気候は小麦づくりに向き、塩田の塩は麺を打つのに欠かせず、出汁には小豆島の醤油と伊吹島のいりこが使えました。原料がすべて地元で完結する、稀有な土地だったのです。
うどんの製法そのものは、唐から帰った弘法大師・空海が小麦や製麺の技を伝えたとも語り継がれますが、これは確かな記録のない伝承です。一方、元禄期(およそ300年前)の金毘羅祭礼図にうどん屋が描かれており、讃岐が早くからうどんの先進地であったことは史料からも裏づけられます。麺を打つ塩水を、土用は塩一に水三、寒には水六、春秋は水五と季節で割合を変える「土三寒六常五杯(どさんかんろくじょうごはい)」の知恵も、この地で磨かれました。麺を自分で湯がき、出汁をかけ、薬味を載せて格安で食べる現代の「セルフうどん」も、うどんが日常食として深く根づいたこの土地ならではの文化です。
小豆島――醤油とオリーブが根づいた島
瀬戸内に浮かぶ小豆島は、香川の食文化のもうひとつの中心です。島の醤油づくりは文禄年間(1592〜1595年)に始まったとされ、小豆島は約400年の歴史をもつ日本有数の醤油産地に数えられます。そのルーツは、ここでも塩でした。江戸期に栄えた塩づくりが過剰生産に陥ったとき、塩を活かす道として醤油醸造が広まったのです。「醤(ひしお)の郷(さと)」と呼ばれる一帯には今も醸造蔵が軒を連ね、百種をこえる微生物が棲みつく木桶での天然醸造が受け継がれています。
そして小豆島は、日本のオリーブ栽培発祥の地でもあります。1908年(明治41年)、国の事業として三重・香川・鹿児島の三県でオリーブの試験栽培が始まりましたが、結実に成功したのは小豆島のものだけでした。地中海によく似た温暖少雨の気候が幸いしたとされます。塩・醤油に続いてオリーブまで、小豆島は瀬戸内の風土を味方につけてきたのです。
和三盆――讃岐と阿波が磨いた砂糖の極み
讃岐の砂糖文化が生んだ最高峰が、淡くほどける口どけで知られる高級砂糖「和三盆」です。和三盆は、香川県の東かがわ市でつくられる「讃岐和三盆」と、徳島県板野郡上板町でつくられる「阿波和三盆」という、県境をまたいだ讃岐・阿波の二つの産地に受け継がれてきました。原料はいずれも、この地方で育つ在来種のサトウキビ「竹糖(ちくとう)」です。
東かがわ市には、1804年(文化元年)創業の三谷製糖や、ばいこう堂といった老舗が、二百年来の手づくりの技を今に伝えています。煮詰めた白下糖を盆の上で何度も練り、研ぐように糖蜜を抜いていく――その手間を惜しまぬ仕事が、口に入れた瞬間にほどける上品な甘さを生みます。和菓子に欠かせないこの砂糖もまた、雨の少ない讃岐の土地が育てた宝物です。
庶民が育てた郷土の味
香川の食文化は、藩や島の産業だけでなく、庶民の暮らしのなかからも生まれました。「しょうゆ豆」は、煎ったそら豆を醤油・砂糖・唐辛子の漬け汁にひたした素朴な郷土料理です。四国八十八ヶ所を巡るお遍路をもてなすため煎っていたそら豆が、近くの醤油壺に転がり込んだのが始まり、という言い伝えも残ります(確かな由来ではありません)。そら豆が稲の裏作として広く育てられたことも、この味を支えました。
戦後に生まれた名物もあります。鶏のもも肉を骨つきのまま焼く「骨付鳥(ほねつきどり)」は、丸亀市が発祥とされ、1952年創業の店「一鶴(いっかく)」が、海外映画のローストチキンから着想して1953年に売り出したのが起こりとされます。塩・こしょう・にんにくを効かせたその味は、今やうどんに次ぐ香川名物として親しまれています。古い歴史をもつ三白の食文化に、新しく加わった郷土の味が層をなしている――それが、高松・香川の食卓がもつ奥行きなのです。
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