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那覇の食文化史――琉球王国の交易と島の風土が育てた沖縄の味
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那覇の食文化史――琉球王国の交易と島の風土が育てた沖縄の味

那覇は王府と港が出会った「食の交差点」

沖縄の食文化を語るうえで、那覇という街は特別な意味を持ちます。1429年に成立した琉球王国の王都・首里(1954年に那覇市へ編入)と、「唐、南蛮寄り合う那覇泊」と謡われた貿易港・那覇は、王府の格式と海の交易が背中合わせに息づいた場所でした。「万国津梁」を掲げた琉球王国にとって、那覇は中国(明・清)、東南アジア、朝鮮、薩摩を結ぶ船が行き交う海外貿易の窓口であり、商都としてにぎわった街です。各地からもたらされた食材と調理技法は、まずこの街で受け止められ、亜熱帯の島の産物と混ざり合っていきました。沖縄では食べ物そのものを「ぬちぐすい(命の薬)」と呼び、医食同源の思想で捉える習わしがありますが、その土台にあるのは、海を越えた交流と島の風土が長い時間をかけて練り上げた食の知恵なのです。

宮廷の膳と庶民の鍋――二つの琉球料理

「琉球料理」と一口に言っても、その出自は大きく二つに分かれます。一つは、王府が中国からの冊封使をもてなすために磨き上げた宮廷料理。御冠船(ウカンシン)料理と呼ばれるこの膳には、フカヒレや昆布など海をまたいで集めた高級食材が並び、首里の料理人たちの技が注ぎ込まれました。もう一つは、芋(サツマイモ)や島豆腐、島野菜を中心とした庶民の食卓です。沖縄の島豆腐は1丁が約1キロにもなる大きく固い豆腐で、炒め物にしても崩れにくく、家庭の食を長く支えてきました。豪奢な宮廷料理と素朴な家庭料理――この二層が混ざり合いながら、今日の沖縄料理の幅は生まれました。たとえば沖縄そばも、小麦が貴重だった時代には宮廷でふるまわれる程度の料理で、庶民に広まったのは1900年前後とされます。

「鳴き声以外、すべて」――豚と向き合う知恵

沖縄の食を象徴するのが豚です。豚は15世紀ごろ中国の福建あたりから伝わったとされますが、庶民が日常的に口にするようになったのは18世紀以降のこと。その普及を後押ししたのが、1605年に中国から持ち帰られたサツマイモでした。台風や干ばつに強い芋が島の飢えを救い、人の主食と豚の餌を同時に支えたのです。「豚は鳴き声以外すべて食べる」と言われる通り、皮付き三枚肉を煮込んだラフテー、コリコリした耳皮のミミガー、内臓を丁寧に下処理した中身汁、豚足のてびちと、捨てる部位がありません。背景には「類を以て類を補う」という漢方の発想があり、弱った体の部位と同じ豚の部位を食べて補うという、まさにぬちぐすいの考え方が息づいています。

海を渡ってきた味――泡盛・昆布・チャンプルー

那覇の食には、交易そのものが味として刻まれています。日本最古の蒸留酒ともいわれる泡盛は、14〜15世紀ごろシャム(現在のタイ)から伝わった蒸留技術を源とし、原料には今もタイ米が使われ、沖縄の高温多湿な気候に適した黒麹菌で仕込まれます。那覇・壺屋の「荒焼」の甕で長く寝かせると、まろやかな古酒(クース)へと育つのも泡盛ならでは。壺屋焼は1682年に王府が各地の窯を牧志村の南へ集めて始めた那覇生まれの焼物で、酒や水、味噌を蓄える甕として暮らしと食を支えてきました。一方、昆布が一切採れない沖縄が長く全国屈指の消費量を誇ったのは、北前船と薩摩を経て清へ向かう「昆布ロード」の途上にあったからです。豚と炒め合わせるクーブイリチーは、この交易が生んだ家庭料理にほかなりません。野菜や豆腐を炒めるチャンプルーも、語源はマレー・インドネシア語で「混ぜる」を意味するcampur(チャンプル)に由来するといわれ、東南アジアとの交わりを今に伝えています。

戦が変えた食卓――米軍統治とポーク

沖縄の食卓を大きく塗り替えたのが、1945年から1972年まで続いた米軍統治の時代でした。深刻な食糧難のなか、米軍が持ち込んだポークランチョンミート(豚肉の缶詰)が貴重なたんぱく源として浸透し、やがて家庭料理に溶け込みます。チャンプルーにポークを加え、ご飯に卵焼きとポークを合わせるポーク玉子――ハワイのスパムむすびの影響も受けながら、島は外来の食材を自分たちの味へと作り替えていきました。古くから交易で異国の味を受け入れてきた那覇らしい、したたかな食の適応力が、戦後の混乱のなかにも表れています。

市場に息づく「マチグヮー」の食――牧志と栄町

こうした食文化が今も生きているのが、那覇の市場(マチグヮー)です。第一牧志公設市場は、戦後まもなく開南あたりに自然発生した闇市を母体に、1950年に市営市場として整えられました(2023年に建て替えが完成)。鮮やかな島豆腐や豚の顔皮、色とりどりの島野菜が並ぶ光景は、二層構造の琉球料理をそのまま陳列したかのようです。一階で買った食材を二階の食堂で料理してもらう「持ち上げ」の文化も、市場ならではの楽しみ。ひめゆりの学舎跡に立つ栄町市場とともに、まちぐゎーは沖縄戦を越えて食の記憶を継いできました。市場の一角では、中国の揚げ菓子「開口笑」を起源とするとされるサーターアンダギーが揚げられています。砂糖が貴重だった時代には祝い事の特別な菓子だった一品で、塩(マース)で素材を生かすマース煮ともども、島の素朴な味が今も受け継がれているのです。

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Written by

松本 海斗

スポーツインストラクター

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