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都萬神社

都萬神社

※写真はイメージです。

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宮崎県西都市の中心部・妻地区に鎮座する都萬神社は、「日向國二之宮」として古来より深い崇敬を集めてきた古社です。祭神の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を祀り、縁結び・安産・子育ての神として、時代を超えて人々の信仰を受け続けています。

奈良時代に遡る創建と最初の文献記録

都萬神社の創建年代は明らかではありませんが、神社が初めて史書に登場するのは仁明天皇承和4年(837年)のことです。勅撰の史書『続日本後紀』の同年8月の条に「日向国子湯郡妻神宮社に預かる」と記されており、その時点ですでに朝廷から神社として認定されていたことがわかります。文献に現れるよりさらに古く、奈良時代にはすでに存在していたと考えられています。

その後、清和天皇の治世にあたる天安2年(858年)の『三代実録』にも神階昇格の記載が確認でき、朝廷から格式を高められていった様子が読み取れます。さらに平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には、日向国4座のうち児湯郡2座として都農神社とともに都萬神社が列記されており、「式内社」と称される根拠となっています。

伊東氏・島津氏による厚い庇護

中世に入ると、日向を領した伊東氏が建久年間(1190〜1199年)に供田を献じて奉賽に務めました。戦国から江戸初期にかけて日向の支配が変わると、慶長8年(1603年)に島津以久公が佐土原に封ぜられ、以後は島津氏が都萬神社への尊崇を引き継ぎます。4代藩主忠高は妻村内315石を社領として安堵し、武家政権のもとでも境内の維持・運営が手厚く保護されました。歴代の支配者が時代をまたいで崇敬を示し続けたことは、この神社の揺るぎない格式を物語っています。

明治維新後も続く公的な位置づけ

明治6年(1873年)には県社に列せられ、新たな社格制度のもとでも都萬神社の重要性が公式に認められました。さらに明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進指定を受け、古来からの崇敬は近代においても途絶えることなく続きました。

木花開耶姫命の御神徳

祭神の木花開耶姫命は、桜の花のように華やかな美しさと生命力を象徴する神として知られています。縁結び・安産・子育てに御神徳があるとされ、良縁を願う方や子を授かった家族からの参拝が今も絶えません。「妻」という地名との結びつきもあり、夫婦円満や家族の幸せを祈る場所として地域に根付いています。

特殊神事・更衣祭(七夕祭)

例祭は11月19日に執行されます。また特殊神事として7月7日の七夕に「更衣祭」が斎行されます。七夕という星の祭りの日に合わせた「更衣」という神事名には、季節の移り変わりや清めへの祈りが込められており、年間の神事の中でも独特の位置を占めています。

アクセス

宮崎県西都市妻1

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