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萩の四季を味わう日本海の恵み|歴史と食文化が織りなす美食の町へ
山口県萩市は、長州藩の城下町として栄え、今も武家文化の面影を残す日本海沿いの町です。その食には、藩庁が山口に移った後の町を支えた夏みかん、城下町らしい澄んだ汁の「いとこ煮」、日本海のふく、そして沖合の見島で守られてきた在来牛など、町の歴史と深く結びついたものが多くあります。この記事では、農林水産省の郷土料理データベースや山口県の文化財情報をもとに、萩の四季と食の背景を紹介します。個別の店の料金や営業時間は変わることがあるため、訪問前に各店の案内で確認してください。
城下町の食:武家文化が残る萩
農林水産省の郷土料理データベースは、山口県の日本海側「北浦地域」の中でも、萩市は武家文化が残る独自の食文化をもつと紹介しています。毛利氏が本拠地とした萩では武家文化が生まれ、それに合わせて食も発展しました。その代表が「いとこ煮」です。甘く煮た小豆と白玉粉のだんごを使うのは県内共通ですが、萩市では昆布などのだしを醤油や塩でととのえた、城下町らしい澄んだ汁に、小豆と白玉のほかシイタケやかまぼこを入れ、冷たい汁物に仕立てます(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」山口県)。
春から初夏:萩を救った夏みかん
萩の春から初夏を彩るのが夏みかんです。農林水産省によると、萩に夏みかんがもたらされたのは江戸時代の文化年間の初めで、当初はゆずの代用として使われていました。文久3年(1863年)に藩庁が萩から山口に移ると町は経済的に困窮し、士族の生活も苦しくなりました。そこで小幡高政が、空き家同然となった侍屋敷に夏みかんの種をまき、苗木を士族に配ったことで、町中に夏みかん畑が広がり、今日の名産品になったといわれます。5月には甘酸っぱい香りの白い花が咲き、実を収穫する4月から6月ごろには、皮まで砂糖で煮詰めた「だいだい菓子」(萩ではひとつの木に新旧の実がなることから夏みかんを「代々(だいだい)」と呼びます)が家庭でつくられてきました(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」夏みかん菓子)。
夏みかんは山口県の県花にも選ばれていて、萩ではゼリーやジュース、ジャムなどに加工した土産も売られています。
秋から冬:日本海のふく
秋から冬にかけては、山口県の県魚「ふく(ふぐ)」の季節です。農林水産省の紹介では、ふぐの有名な漁場として下関地域とともに萩地域が挙げられ、ふぐ漁で主流の延縄漁は山口県で生まれて改良が重ねられてきました。豊臣秀吉の時代にはふぐ食禁止令が出されたこともありましたが、伊藤博文がそのうまさに感心し、明治21年に山口県でだけ解禁されたと伝えられています。天然のとらふぐは漁期が9月から3月に限られ、冬の味覚として祝い事など特別な日に食べられることが多い魚です。透けるほど薄く切った刺身を、あさつきやもみじおろしを添えてポン酢で味わいます(出典: 農林水産省「うちの郷土料理」ふく刺し)。
見島牛:守られてきた日本の在来牛
萩の北西沖44.3キロにある周囲18キロの島・見島では、「見島牛」と呼ばれる在来牛が古くから飼育されてきました。山口県の文化財情報によると、見島の産地は国の天然記念物「見島ウシ産地」に指定されています。黒毛和牛より体格は小さく、毛色はかすかに褐色がかった黒で、成熟には5年以上かかり、性質は極めて温順で農耕用として飼われていました。農業の機械化で頭数が大きく減りましたが、地元の保存会や萩市の保護増殖の取り組みにより、令和2年時点で約90頭まで回復しています(出典: 山口県の文化財「見島ウシ産地」)。
萩の食を楽しむコツ
旬の食材は漁や収穫の状況によって出回る時期が前後します。目当ての料理がある場合は、訪問前に店や観光案内所で扱いの有無を確かめておくと安心です。
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