本多劇場
下北沢の街には、独特の熱気が宿っている。古着屋やレコードショップ、ライブハウスが軒を連ねるその路地の一角に、日本の小劇場演劇を語るうえで欠かすことのできない場所がある。本多劇場は、1982年の開場以来40年以上にわたり、無数の俳優や劇作家たちの夢と情熱を受け止めてきた劇場だ。
下北沢に生まれた演劇の聖地
本多劇場が産声を上げたのは1982年のこと。演劇プロデューサーの本多一夫氏が、当時の下北沢にあった映画館を改装して開設した。日本の演劇界がいわゆる「小劇場ブーム」を迎えていた時代であり、東京各地でアングラ演劇や新劇とは異なる、若い世代の表現が次々と生まれていた。その中心地のひとつとなったのが下北沢であり、本多劇場はその旗手として機能してきた。
386席という規模は、大劇場でも野外会場でもない、「手の届く距離で演じられる」ちょうどよいスケールを持つ。プロセニアム形式の舞台は奥行きもあり、大道具を用いた本格的な舞台美術にも対応できる一方で、最後列からでも役者の表情がはっきりと見える親密さを保っている。観客と舞台の関係性において、ここには何か特別なものがある。観ている側が、ふとした瞬間に物語の中へと引き込まれる感覚。それは数字や設計図では説明しきれない、この劇場固有の「引力」だ。
巣立っていった数多くの才能
本多劇場の歴史を語ることは、日本の現代演劇の歴史を語ることにも等しい。これまでこの舞台に立った俳優や劇団の数は枚挙にいとまがない。後に映画やテレビで活躍することになる俳優たちが、まだ無名だったころにこの舞台で汗を流し、客席の視線を一身に浴びながら表現の本質を磨いていった。
劇団としても、劇団☆新感線、ナイロン100℃、キャラメルボックス、大人計画など、日本の小劇場演劇を代表する団体がここで公演を重ねてきた。演出家、脚本家、舞台美術家、照明家——演劇を成立させるすべての職能が、本多劇場というステージで鍛えられ、そこから全国へ、あるいは世界へと羽ばたいていった。「本多劇場で公演できること」は、演劇人にとって一つのステータスであり続けている。
386席が生む特別な体験
小劇場の魅力のひとつは、舞台と客席の距離の近さにある。本多劇場では最前列に座れば俳優の息遣いが感じられるほどの近さで演技を目の当たりにできる。役者が台詞を発するときの口元の動き、感情を押さえようとするときの微細な表情の揺れ、身体全体で役を生きている様子——そういった細部が、ここでは観客にまっすぐ届く。
またこの劇場では、照明や音響も含めた舞台全体の密度が高い。限られた空間の中で凝縮された演出がなされるため、観客は否応なく物語の世界へと没入する。大きなスクリーンや派手な演出装置がなくても、人間の声と身体だけでこれほどの世界が広がるのかという驚きは、初めて小劇場を訪れる人にとって鮮烈な体験となるはずだ。チケット価格も大劇場に比べてリーズナブルなものが多く、演劇初心者にとっても気軽に足を踏み入れやすい入口となっている。
下北沢という街と演劇文化
本多劇場を語るとき、下北沢という街そのものを切り離すことはできない。本多劇場を皮切りに、本多一夫氏が運営・関与する劇場はその後も下北沢に増え続け、ザ・スズナリ、OFF・OFFシアター、本多劇場グループとして地域に根付いていった。現在、下北沢周辺には大小さまざまな劇場が集積しており、一日で複数の公演を梯子することも可能な「演劇の街」として全国に知られている。
街を歩けば、稽古帰りとおぼしき若い俳優たちとすれ違い、劇場周辺のカフェやバーには公演後の観客や出演者が入り混じり、演劇の余韻が街全体にじわじわと染み渡っているような感覚がある。古着屋でコスチュームを探す劇団員の姿も珍しくなく、この街の文化的な多様性と演劇という表現形式がうまく溶け合っている。本多劇場はその核として、下北沢の文化的なアイデンティティを支えてきた。
観劇のすすめとアクセス情報
本多劇場の公演情報は公式ウェブサイトや各劇団の告知で随時更新されており、来日旅行者向けにも比較的情報が整備されている。チケットは公演によっては当日券が出ることもあるが、人気作品は早期に完売するため、事前予約が望ましい。
アクセスは、小田急線および京王井の頭線の下北沢駅から徒歩約5分。改札を出て商店街を抜け、路地を少し歩いていくと赤い外観の建物が見えてくる。周辺には飲食店も多いため、開演前の食事や観劇後の一杯を楽しむ場所に困ることはない。特に下北沢には個性的な飲食店が多く、観劇とセットで街歩きそのものを楽しむという過ごし方がよく似合う。
春の桜が咲く季節、夏の熱気の中、秋の落ち着いた空気の下、年の瀬に向かう冬——どの季節に訪れても、本多劇場では何かしらの舞台が上演されており、その扉を開ける人を待っている。日本の小劇場演劇の醍醐味を体験するなら、ここ以上の場所はそう多くない。
アクセス
小田急線・京王井の頭線下北沢駅から徒歩3分
営業時間
公演により異なる
料金目安
¥3,000〜¥5,000
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