高知県の太平洋に面した中土佐町・久礼。ここに、昭和の風情をそのまま残す小さな市場がある。久礼大正町市場は、地元の漁師たちと住民が長年にわたって支えてきた生活市場であり、近年はそのありのままの姿が全国の旅行者を引き寄せる観光地としても知られるようになった。カツオの本場で、本物の味を求めるならば、この市場を訪れない手はない。
大正時代から続く「生きている市場」
久礼大正町市場の名が示すとおり、この市場の歴史は大正時代にまで遡る。当時、久礼漁港に水揚げされた魚介類を地元の人々に届けるために自然発生的に形成されたのが市場の起源だ。昭和・平成・令和と時代が移り変わっても、市場の本質は変わっていない。地元の漁師が水揚げした新鮮な魚を、市場の店主たちがすぐさまさばいて並べ、それを地域の人々が買いに来る。この日常の繰り返しが、百年以上にわたって続いているのだ。
市場内の通りは全長わずか数十メートルほどで、決して広くはない。しかし、鮮魚店、乾物屋、食料品店、食堂が肩を寄せ合うように並ぶ様子には、大型ショッピングモールでは味わえない独特の熱気と温かみがある。建物の多くは古い木造で、色あせた看板やのれんが今もそのまま使われており、歩くだけで懐かしさと新鮮さが同時に押し寄せてくる。「観光のために整備された」雰囲気がまるでないのが、この市場の最大の魅力だ。
カツオのたたき——藁焼きの本場の味
久礼大正町市場を語る上で、カツオのたたきは欠かせない主役だ。高知県全体がカツオで有名だが、久礼は特に「カツオの町」として知られており、市場で食べるたたきはほかと一線を画すクオリティを誇る。
ここで食べられるのは、「藁焼き(わらやき)」と呼ばれる伝統的な製法によるたたきだ。稲藁を使って一気に高温で表面を炙ることで、外側に香ばしい焦げ目がつきながらも中心部はとろけるような生の食感が残る。スーパーで売られているたたきとは根本的に別物と言っていいほどの豊かな風味が口いっぱいに広がる。
市場内の鮮魚店では、購入した魚をその場で炙ってくれるサービスを行っているところもある。朝に水揚げされたばかりのカツオが昼には自分の手元に届く——この鮮度の高さが久礼のたたきの真骨頂だ。ニンニクやショウガを薬味に、塩や柚子ポン酢でいただくスタイルも、地元流の食べ方として味わってみてほしい。
市場の散策——食べ歩きと地元の人との会話
市場では、購入した食材をその場で楽しめる食べ歩きが定番の楽しみ方だ。鮮魚店の軒先に置かれたプラスチックの椅子に腰掛けながら、たたきの一切れを口に運ぶ時間は、どんな高級レストランにも代えがたい体験だ。
また、この市場の名物店主たちとの会話も旅の醍醐味の一つ。気さくな高知の人々は、旅行者にも気取らずに話しかけてくれることが多く、「今日はどの魚がおいしいか」「この季節のカツオはどこ産か」といった話を聞くうちに、食の背景にある漁師たちの仕事や海の状況まで知ることができる。
市場内には食堂も数軒あり、カツオのたたきを中心とした定食を手頃な価格で提供している。地元の人が普段使いする食堂だけに、観光地価格とは無縁の素朴な価格設定も嬉しい。
季節ごとの楽しみ方
久礼大正町市場は一年を通じて楽しめる場所だが、季節によって異なる魅力がある。
春から初夏(3〜6月)にかけては「初鰹(はつがつお)」のシーズン。太平洋を北上する若いカツオが水揚げされ始め、市場には活気があふれる。脂は少ないが身が締まっていて上品な旨味が特徴で、高知では「初鰹は金を出しても食え」と言われるほど珍重される。
秋(9〜11月)は「戻り鰹(もどりがつお)」の季節。南下してくる成熟したカツオは、春の初鰹とは対照的に脂がたっぷりのっており、濃厚でコクのある味わいが楽しめる。どちらが好みかは人によるが、両方の季節に訪れてみると、同じたたきでもまったく異なる体験ができる。
冬は観光客が少なくなるぶん、市場がより地元色を増す時期。旬の地魚やタコ、ウツボなど高知ならではの海産物が店頭に並び、地元の食文化により深く触れることができる。
アクセスと周辺観光
久礼大正町市場へのアクセスは、主に車か公共交通機関を利用する方法がある。最寄り駅はJR土讃線の「土佐久礼駅」で、駅から市場まで徒歩約10分ほどの距離だ。高知市内からは車で約1時間、四国の玄関口・高松方面からは高速道路を使って2〜3時間ほどかかる。
周辺には、白砂の美しい砂浜として知られる「双名島(ならびじま)」や、地元の漁港の雰囲気を間近に感じられる久礼漁港がある。少し足を延ばせば、仁淀川流域の透明度の高い清流や、四万十川の雄大な景観も楽しめる。カツオの市場を起点に、高知の自然と食を組み合わせた旅程を組むのがおすすめだ。
市場は朝早くから営業している店が多く、午前中に訪れると最も新鮮な状態の魚介類を目にすることができる。午後は品数が減ることもあるため、午前中の早い時間帯を狙って訪れるのが賢明だ。駐車場は市場周辺にいくつか確保されているが、週末や連休は混雑するため、公共交通機関の利用も検討したい。
旅の記憶に残る「本物の市場体験」
久礼大正町市場が多くの旅行者の心に刻まれるのは、そこに「本物」があるからだ。観光客向けに演出された空間ではなく、地元の人々が毎日の暮らしの中で使い続けてきた場所に、偶然お邪魔させてもらっている——そういう感覚が、この市場には息づいている。
たたきの煙の香りと潮の匂い、元気な店主の声と漁港から聞こえる船のエンジン音。それらが一体となって作り出す空気は、どこかノスタルジックで、それでいて今この瞬間の活気に満ちている。高知を訪れるなら、ぜひ一度この市場の朝に立ち会ってみてほしい。カツオのたたきを頬張りながら、海と人が結びついた高知の食文化を、全身で感じることができるはずだ。
交通
高知県中土佐町内、最寄り駅またはバス停からアクセス
營業時間
散策自由
預算
散策無料