横浜の住宅街に突如現れる廃墟の洋館――根岸競馬場跡の一等馬見所は、知る人ぞ知る横浜の異色スポットです。桜並木と緑豊かな公園に囲まれたその姿は、往年の繁栄と歴史の重みを静かに語りかけてきます。
日本初の洋式競馬場、その誕生
根岸競馬場の歴史は、幕末の横浜開港にまで遡ります。1859年の開港以来、横浜には多くの外国人が居留するようになり、彼らが故郷の娯楽文化を持ち込むのに時間はかかりませんでした。1866年(慶応2年)、根岸の丘陵地に外国人居留地の住民たちによって日本初の洋式競馬場が開設されます。当初は外国人専用の社交的イベントとして始まったこの競馬は、やがて日本人にも開放され、明治・大正期を通じて横浜の一大社交場として賑わいを見せました。
現在も残る一等馬見所(グランドスタンド)は、1929年(昭和4年)から1930年にかけて完成したものです。設計を担ったのは、ジョン・ヘスケス・モーガン(J.H. Morgan)。横浜を拠点に活躍したイギリス人建築家で、山手地区の洋館群にも多くの作品を残した人物です。白亜の外壁に曲線美が際立つアール・デコ様式のスタンドは、収容能力と意匠の両面で当時の最先端を誇り、完成当時は東洋一の競馬場とも称されました。
廃墟となった洋館の現在
華やかな歴史を持つ根岸競馬場ですが、その終焉は太平洋戦争とともに訪れました。1942年(昭和17年)、戦時体制下で競馬が禁止されると場内は閉鎖されます。戦後は米軍に接収され、家族向け住宅地として長く使用されましたが、1982年の返還後は根岸森林公園として整備され、一般に開放されました。
しかし一等馬見所の建物は返還後も老朽化が進み、内部への立ち入りは現在も禁止されています。外壁のコンクリートは風雨に晒されて褪色し、窓枠は朽ち、かつての白亜の殿堂は廃墟としての風格をまとっています。それでもアール・デコの曲線を描く三棟の建物が並ぶ様子は圧巻で、国内では珍しい近代競馬建築の遺構として、建築ファンや廃墟愛好家のみならず、多くの観光客を惹きつけています。
2009年には国の登録有形文化財に指定され、遺構の保存と活用に向けた議論も続けられています。廃墟でありながら文化財でもあるという二面性が、この場所に独特の緊張感と魅力を与えています。
桜の名所としての根岸森林公園
遺構の前に広がる根岸森林公園は、かつての競馬コースを活かした広大な芝生広場を中心に整備された横浜市内有数の総合公園です。園内には約200本のソメイヨシノが植えられており、毎年3月下旬から4月上旬にかけての桜の季節には花見客で賑わいます。廃墟の洋館を背景に咲き誇る桜の光景は、どこか物悲しくも美しく、横浜の春を代表する風景のひとつとなっています。
桜の時期を外れても、公園の魅力は色褪せません。夏は緑陰のなかで家族連れがくつろぎ、秋には木々が紅葉して風景に彩りを添えます。年間を通じてジョギングや犬の散歩をする地元住民の姿も多く、観光地でありながら生活に根ざした公園として親しまれています。冬の澄んだ空気のなかで廃墟の遺構をじっくり眺めるのも、また違った趣があります。
周辺の見どころと散策ルート
根岸競馬場跡を訪れるなら、周辺の歴史スポットと組み合わせた散策がおすすめです。根岸森林公園から徒歩圏内には、明治時代に建てられた旧柳下邸をはじめとする山手の洋館群が点在しています。山手本通り沿いにはベーリック・ホールや山手234番館など、無料で内部を見学できる洋館が並んでおり、横浜の近代建築の変遷を一日かけて巡ることができます。
また、根岸駅周辺の商店街は昭和の雰囲気を残したレトロな街並みで、ランチや休憩に立ち寄るのに最適です。元町・中華街方面へも電車で数分とアクセスがよく、異国情緒あふれる横浜の魅力を存分に味わえるエリアとなっています。
アクセスと訪問のヒント
根岸森林公園へは、JR根岸線「根岸駅」から徒歩約15分、またはバスで「根岸競馬記念公苑」バス停下車すぐです。駐車場も完備されているため、車でのアクセスも可能です。
一等馬見所の遺構は公園内の一角にフェンスで囲まれた形で保存されており、外観は自由に見学できます。近くには「根岸競馬記念公苑」として馬の博物館が隣接しており、競馬の歴史や馬に関する展示を通じて遺構の背景をより深く理解することができます。入場料は大人200円と手頃で、実際に乗馬体験ができるポニーセンターも併設されているため、お子さん連れにもおすすめです。
混雑を避けたい場合は平日の午前中が狙い目。桜のシーズンはどうしても人が多くなるため、開花直後や散り際の「花吹雪」の時期に訪れると、比較的ゆったりとした雰囲気のなかで遺構と桜の共演を楽しむことができます。横浜の観光地の中でも知名度がさほど高くない穴場スポットだからこそ、静かに歴史と向き合える時間をここで見つけてほしい場所です。
アクセス
JR根岸駅からバスで5分「旭台」下車
営業時間
終日(公園は常時開放)
料金目安
無料