神奈川県伊勢原市に聳える丹沢大山(標高1,252m)は、古くから「雨降山(あふりやま)」とも呼ばれ、江戸の人々が一生に一度は訪れたいと願った霊峰です。豆腐料理の老舗が軒を連ねる参道と、山上に鎮座する阿夫利神社。この地でしか味わえない食と信仰の旅が、今も多くの人を惹きつけています。
江戸から続く「大山詣り」の歴史
大山信仰の歴史は古く、奈良時代の僧・良弁が開山したと伝えられています。しかし、その人気が爆発的に高まったのは江戸時代のことです。当時、江戸の町人たちの間で「大山詣り」が大流行し、毎年夏になると「大山講」と呼ばれる参拝グループが白装束に身を包み、相模川で身を清めてから大山へと向かいました。
記録によれば、江戸時代の最盛期には年間20万人もの参拝者が訪れたとされ、江戸から大山への道は「大山街道」として整備されました。現在も渋谷から小田急線沿線へと続くその道筋は「矢倉沢往還」とも呼ばれ、当時の賑わいの面影を随所に残しています。落語「大山詣り」にも登場するほど庶民に親しまれたこの参拝文化は、2016年に「日本遺産」に認定されています。
参道に並ぶ豆腐料理の老舗
大山駅からケーブルカーの大山ケーブル駅まで続く「こま参道」と、その上に延びる参道沿いには、大山名物の豆腐料理を提供する老舗が十数軒並んでいます。大山の豆腐が名物となった背景には、山中に湧き出る清冽な水があります。丹沢山系から滲み出るミネラル豊富な軟水が、きめ細かく滑らかな豆腐を生み出すのです。
代表的な料理は、型を使わずに固めた「寄せ豆腐」です。ふわりとした食感と大豆の濃厚な旨みが口の中に広がり、一口食べると山の恵みを実感できます。湯豆腐や豆腐田楽(みそを塗って焼いた豆腐)、豆腐づくしのコース料理など、それぞれの店が独自のこだわりを持って提供しています。参道を歩きながら店をのぞき、好みの一軒を選ぶのも旅の楽しみのひとつ。ランチタイムには行列ができることも多いため、早めに訪れるか、事前に予約しておくと安心です。
ケーブルカーと参道ハイキング
阿夫利神社の下社へのアクセスは、大きく二通りあります。ひとつは大山ケーブルカーを利用する方法で、大山ケーブル駅から阿夫利神社駅まで約6分の空中散歩を楽しめます。眼下に広がる杉林と、遠く伊勢原の街並みを眺めながらの乗車は、それ自体が旅情あふれる体験です。
もうひとつは、参道を自分の足で歩くルートです。大山ケーブル駅前から始まる男坂・女坂のふたつのルートを選べます。男坂は石段が急峻で体力を要しますが、最短で下社に到着できます。一方の女坂はやや緩やかで、途中に「子育て地蔵」や「爪切り地蔵」など見どころが点在しています。どちらのルートも所要時間は約30〜50分。木漏れ日の差す杉並木の参道を歩きながら、江戸の人々が歩いたのと同じ道をたどる体験は、現代の観光旅行では得難い感慨をもたらしてくれます。
阿夫利神社下社と関東の絶景
標高約700mに位置する阿夫利神社の下社は、大山信仰の中心となる社殿です。「阿夫利(あふり)」とは「雨降り」を意味し、農業を営む人々から雨と水の神として篤く崇敬されてきました。現在では縁結び・商売繁盛・交通安全などのご利益も広く知られています。
下社の境内から望む関東平野の眺めは壮観のひと言です。晴れた日には相模湾から房総半島、遠くには東京スカイツリーを望むこともでき、「関東の富士見百景」にも選ばれています。境内には「大山名水」と呼ばれる湧き水があり、この清水が麓の豆腐の美味しさを支えていることを実感できます。また、下社から本社(奥社)まではさらに約90分の登山道が続き、体力と時間に余裕があれば山頂からの360度パノラマを目指すことも可能です。
四季折々の楽しみ方
大山は季節ごとに異なる表情を見せる山です。春(3〜5月)は参道沿いの山桜や新緑が美しく、爽やかな空気の中でのハイキングが心地よい季節です。夏(7〜8月)は「大山夏山祭り」が行われ、夜間も参拝者で賑わいます。江戸時代の大山詣りも夏の風物詩であったことから、この時季に訪れると往時の雰囲気をより深く感じられます。
秋(10〜12月初旬)は紅葉の名所としても知られ、参道のモミジやカエデが鮮やかに色づきます。特に11月中旬から下旬にかけての紅葉は見事で、多くのカメラマンや観光客が訪れます。冬(12〜2月)は空気が澄んで遠望が利き、富士山や相模湾を一望する絶景を楽しめます。温かい湯豆腐や豆腐鍋が格別に美味しく感じられる季節でもあります。
アクセスと周辺情報
大山へのアクセスは小田急線が便利です。新宿駅から小田急線で伊勢原駅まで約50〜60分(急行利用)、そこから神奈中バスで「大山ケーブル」バス停まで約25分です。バス停から大山ケーブル駅まではこま参道を徒歩約15分。都心からの日帰り旅行として十分楽しめる距離にあります。
周辺には日帰り温泉施設も点在しており、ハイキング後の疲れを癒すことができます。また、伊勢原市内には「比々多神社」など歴史ある神社も多く、大山と合わせて神奈川の歴史巡りを楽しむこともできます。混雑を避けたい方は平日の訪問がおすすめです。特に紅葉シーズンの週末はケーブルカーに長蛇の列ができることがあるため、早朝出発を心がけると良いでしょう。豆腐料理の店は昼過ぎには売り切れや満席になることもあるため、到着後すぐに食事を済ませてからハイキングに臨むプランが王道です。
アクセス
小田急線伊勢原駅からバスで30分
営業時間
ケーブルカー9:00〜17:00
料金目安
豆腐料理1,500〜3,000円+ケーブルカー640円