甲府駅北口を一歩出た瞬間、旅人の視線を力強く引きつける存在がある。戦国の世に「甲斐の虎」と称された武田信玄公の銅像だ。甲府のシンボルとして長年にわたり市民に愛されてきたこの像は、山梨観光の出発点にふさわしい、圧倒的な存在感を放っている。
像が生まれるまで——県民の心が結集した浄財
武田信玄公之像は、単なる観光モニュメントではない。その誕生には、信玄公を敬い続けてきた山梨県民と全国の有志たちの熱い思いが込められている。
像の建設を主導したのは「武田信玄公奉賛会」。信玄公の遺徳を偲び、県民の気運を高揚させることを目的として発足した団体だ。県内外の有志1,080人から寄せられた浄財を資金に、建設計画が動き出した。昭和43年(1968年)4月8日に建設を開始し、翌昭和44年(1969年)4月12日に完成。4月12日という日付は偶然ではなく、武田信玄公の命日に合わせた特別な意味を持つ。完成した像はそのまま甲府市に寄付され、市民共有の財産となった。
千人を超える人々が心を合わせて実現させたこの像は、今日も甲府の顔として多くの訪問者を迎え続けている。
細部に宿る武将の威厳——像の造形と素材
像を手がけたのは彫刻家の宮地寅彦氏。重厚な甲冑に身を包み、軍配を手に泰然と座する信玄公の姿は、見る者に深い存在感を与える。台座を含めた総高は約5メートルに達し、遠くからでもその威容が確認できる。
素材にはブロンズが使われており、年月を経て深みのある色合いへと変化している。細部まで丁寧に彫り込まれた甲冑の模様や、引き結んだ口元、鋭く前方を見据える眼差しは、戦略家としての信玄公の精神を余すところなく表現している。像の前に立つと、戦国時代の空気がふっと感じられるような、不思議な臨場感がある。
台座には「武田信玄公之像」の文字が力強く刻まれており、その重みある書体もまた、この像が持つ格調をさらに高めている。
風林火山——武田信玄公という人物
武田信玄(1521〜1573年)は、甲斐国(現在の山梨県)を本拠とした戦国大名である。幼名を太郎、諱を晴信といい、信玄は出家後の法名だ。父・信虎を駿河に追放して家督を継ぎ、以後20年以上にわたって甲斐を統治した。
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」——孫子の兵法から採った「風林火山」の旗印は、信玄軍の強さの象徴として現代にも語り継がれる。上杉謙信との川中島の戦いは特に有名で、5度にわたる激突はいずれも決着がつかず、両将の智謀と勇猛さが際立った。
内政面でも信玄は傑出した能力を発揮した。信玄堤(しんげんづつみ)に代表される治水工事は甲府盆地の農業生産を飛躍的に向上させ、今なお「信玄さん」と親しみを込めて呼ばれる信仰と尊敬の源泉となっている。甲斐の人々が400年以上にわたって信玄公を慕い続けてきた理由は、戦場での武勇だけでなく、この地道な内政への取り組みにある。
訪れる季節ごとの楽しみ方
春は甲府観光のなかでもとりわけ特別な季節だ。4月になると甲府城跡(舞鶴城公園)の桜が満開を迎え、淡いピンク色に染まった景色の中に信玄公像が凛と佇む。像を背景に桜を収めた写真は、山梨らしさを凝縮した一枚になる。
また4月上旬には「信玄公祭り」が開催される。武者行列や騎馬武者が甲府市内を練り歩き、城下町に戦国の雰囲気が蘇るこの祭りは、例年数万人が訪れる県内最大級のイベントだ。信玄公像の前も多くの人で賑わい、祭り気分を盛り上げる。
夏は青空を背景にした像の写真が映え、秋は空気が澄み渡り、像を見上げると深い青と銅色のコントラストが美しい。冬は観光客が少なくなる分、ゆっくりと像と向き合える穴場の季節。澄んだ空気の中に銅像の静謐な佇まいが際立ち、旅情をひとしお深めてくれる。
周辺の見どころと訪問のヒント
武田信玄公之像のすぐそばには、甲府城跡(舞鶴城公園)がある。石垣が美しい城跡で、天守台からは甲府盆地越しに富士山を望める絶景スポットだ。また、甲府駅から徒歩15分ほどの武田神社は、信玄公を祭神として祀る神社で、境内には武田家ゆかりの遺構も残る。さらに足を延ばせば、甲斐善光寺や昇仙峡なども山梨を代表する観光地として知られており、信玄公像を起点に一日かけてめぐるモデルコースが組みやすい。
アクセスはJR中央本線「甲府駅」北口を出てすぐ。東京・新宿からは特急「あずさ」または「かいじ」を利用すれば約90分でアクセスできる。駅前という立地から、山梨観光の出発点として最初に訪れやすい場所にある。
像の前は記念撮影スペースとしても開放されており、間近に近づいて写真を撮ることができる。朝の光が差し込む早朝や、夕暮れ時のオレンジ色の光の中での像の表情もひと味違う。甲府を訪れた際には、ぜひ時間帯を変えて立ち寄ってみてほしい。
アクセス
甲府駅から徒歩圏内
営業時間
料金目安