
チビチリガマ
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1945年4月1日、米軍が沖縄島西海岸に上陸した日、読谷村波平区の住民たちは二手に分かれて村内のガマ(自然壕)へと身を隠した。一方では83名が命を落とし、もう一方では約1000名が生き延びた。同じ集落の住民が、同じ日に辿った「生」と「死」——チビチリガマとシムクガマは、その対照的な運命を今に伝える沖縄戦最大の証言地のひとつである。
チビチリガマ — 83名が非業の最期を遂げた壕
チビチリガマの名は、「チビ(尻)・チリ(切る)」に由来する。浅い谷の底にあるこのガマには谷川の細い流れが注ぎ込むが、その水がどこへ流れ着くのかわからないことから、こう呼ばれるようになった。
米軍沖縄本島上陸の翌日、1945年4月2日。「鬼畜米英」と教え込まれてきた住民たちは、迫りくるアメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れ、洞窟の中で凄惨な事態が引き起こされた。避難者約140人のうち83名が、肉親同士が手を掛け合うという「集団自決」によって非業の最期を遂げた。
後に遺族と地域の人々は犠牲者の死を悼み、「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立した。悲劇の記憶を風化させないための祈念の場として、現在も訪れる人々が手を合わせる。なお、ガマ内への入壕は遺族会の意思により固く禁止されている。
シムクガマ — 二人の「帰国者」が救った千の命
シムクガマの名は「シム(下)・ク(向く)」、すなわち谷の下にガマがあることに由来する。1945年3月、激化する空襲と艦砲射撃を避けるため、波平区の字民約1000人がこの洞窟に避難していた。
米軍が銃を構えてガマの入口に迫ってきたとき、洞窟内はたちまち大混乱に陥った。「いよいよ殺される」と、人々は洞窟の奥へ奥へと逃げ込もうとした。
その時、二人の男が立ち上がった。ハワイからの帰国者である比嘉平治(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)である。アメリカでの生活を知っていた二人は、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と叫び、混乱する避難者たちをなだめ、ついに全員を投降へと導いた。こうして約1000人の命が救われた。
波平区はこの事実を長く語り継ぎ、命を救った二人への感謝を込めて、洞窟内に記念碑を建立している。
訪問の際の注意事項
シムクガマは自由に見学できるが、ガマ内に川の水が流れ込んでいるため足場が悪い。雨天時は水量が増すことがあり、草むら付近ではハブへの注意も必要だ。ぞうりや草履ではなく運動靴を履き、懐中電灯と軍手を持参することが強く推奨されている。
平和学習・ガイドの利用について
両ガマとも個人での見学は無料・予約不要。ただし、見学の際は大声を出さない、ゴミを捨てないなどのマナーが求められる。
読谷村観光協会では、現地での平和ガイドを有料で提供している(催行日の2週間前までに要予約)。ガマ以外の戦跡地でのガイドや「平和講話」の依頼も受け付けており、修学旅行や団体学習の場としても広く活用されている。単に見るだけでなく、専門ガイドの解説とともに「生と死を分けたもの」を深く問いかけるこの場所は、沖縄を訪れるすべての人に向けた、最も重要な平和学習の場のひとつといえる。
アクセス
沖縄県中頭郡読谷村波平
営業時間
10:00~17:00
料金目安
平和ガイド有料
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