東京湾フェリーが金谷港に近づくと、房総半島の稜線にひときわ異彩を放つ山が見えてくる。山肌がまるで鋸の歯のようにギザギザと刻まれたその姿こそ、鋸山である。標高329.4メートルと決して高い山ではないが、江戸時代から約三百年にわたって良質な房州石を切り出してきた歴史が、自然では生まれ得ない圧倒的な景観を作り上げた。石切り場跡の垂直に切り立った岩壁は、人間の営みと自然が長い年月をかけて共作した芸術作品のようで、初めて目にする人は誰もが息を呑む。
鋸山の最大の見どころは、何といっても「地獄のぞき」だろう。山頂付近から突き出した岩盤の先端に立つと、足元は垂直に百メートル以上切れ落ち、眼下には東京湾の青い海原が広がる。晴れた日には対岸の三浦半島はもちろん、富士山や伊豆大島まで見渡せる大パノラマが待っている。柵があるとはいえ、崖の先端に立った瞬間の浮遊感と恐怖感は筆舌に尽くしがたい。高所が苦手な人は足がすくんで一歩も踏み出せないこともあるが、ここでしか味わえないスリルと絶景は、一生の思い出になるはずだ。風が強い日は特に注意が必要で、帽子やスマートフォンをしっかり押さえておくことをおすすめする。
地獄のぞきを堪能したら、日本寺の境内へ足を進めよう。鋸山の南斜面に広がる日本寺は、神亀二年(725年)に聖武天皇の勅詔により行基によって開山されたと伝わる関東最古級の寺院である。広大な境内には千五百羅漢と呼ばれる石仏群が点在し、江戸時代の名工・大野甚五郎英令とその弟子たちが二十一年の歳月をかけて彫り上げたとされる。風雨にさらされながらも穏やかな表情を浮かべる羅漢像の一体一体を眺めていると、時間が止まったような静寂に包まれる。そして境内の最も低い場所に鎮座するのが、高さ約31メートルの日本寺大仏だ。奈良の大仏や鎌倉の大仏よりも大きく、日本最大級の磨崖仏として知られる。原型は天明三年(1783年)に彫刻されたものの、風化が進んだため昭和四十四年に復元されたという経緯がある。岩肌から浮かび上がるような穏やかな姿は、間近で見上げると圧倒的な存在感を放っている。
アクセスは大きく分けて三つの方法がある。最も手軽なのはJR内房線の浜金谷駅から徒歩約十分のロープウェイ乗り場から山頂駅まで一気に登る方法で、往復950円で約四分間の空中散歩を楽しめる。ロープウェイからの東京湾の眺めも素晴らしく、特に夕方の便は海に沈む夕日が格別だ。体力に自信がある人は、浜金谷駅側の「車力道コース」か「関東ふれあいの道コース」を歩いて登るのがおすすめだ。車力道コースでは、かつて石を運び出すために使われた道を辿ることができ、石切り場の迫力ある岩壁を間近に感じられる。片道約四十分から一時間ほどの登りだが、急な石段も多いので、しっかりとした靴と飲み物は必須である。保田駅側の表参道から日本寺に入り、大仏から地獄のぞきへと登っていくルートもあり、こちらは下りをロープウェイにすれば足への負担を軽減できる。
季節ごとの魅力も見逃せない。春は山桜や新緑が岩壁を彩り、柔らかな光の中でハイキングを楽しめる。夏は木陰が涼しく、早朝に登れば朝もやに包まれた幻想的な景色に出会えることもある。秋は紅葉が石切り場跡の灰色の岩壁に映え、特に十一月下旬から十二月初旬にかけてが見頃となる。冬は空気が澄んで遠望がきき、富士山がくっきりと見える確率が最も高い季節だ。ただし冬場は日が短く、ロープウェイの最終便も早まるので、午前中のうちに登り始めるのが賢明である。拝観料は700円で、境内全体をじっくり回ると二時間から三時間はかかるため、余裕を持ったスケジュールを組みたい。
山を下りたら、金谷港周辺でのグルメも楽しみのひとつだ。この辺りは新鮮な海の幸が自慢で、特に「はまべ」や「さすけ食堂」といった地元の食堂では、分厚く切られた地魚の刺身定食やアジフライが絶品である。漁師町ならではの素朴で豪快な味わいは、山歩きで空いたお腹を満たすのにぴったりだ。また、金谷港からは東京湾フェリーで久里浜港まで約四十分で渡ることができ、三浦半島の観光と組み合わせた周遊ルートも人気がある。車で訪れる場合は、富津館山道路の鋸南保田インターチェンジから約五分でアクセスでき、周辺には道の駅「保田小学校」という廃校をリノベーションしたユニークな施設もある。教室を改装した宿泊施設や給食風メニューを出す食堂があり、大人も子どもも童心に返って楽しめる場所だ。
鋸山は、単なる景勝地ではない。三百年に及ぶ石切りの歴史、千三百年の法灯を守り続ける古刹、そして自然が織りなす雄大な景色が一つの山に凝縮された、唯一無二の場所である。東京から日帰りで訪れることができる手軽さも大きな魅力で、都心からJR内房線の特急で約一時間半、車でもアクアラインを使えば二時間足らずで到着する。地獄のぞきのスリル、大仏の荘厳さ、石切り場跡の迫力、そして東京湾越しの富士山という贅沢な組み合わせは、何度訪れても新鮮な感動を与えてくれる。房総の風と潮の香りを感じながら歩く鋸山は、きっと忘れられない一日になるだろう。
액세스
JR浜金谷駅から徒歩約10分(ロープウェイ乗り場)
영업시간
登山自由(季節・天候に注意)
예산
ロープウェイ往復950円・拝観料700円