岐阜県高山市の中心部に位置する「三町伝統的建造物群保存地区」は、江戸時代から続く商人町の風情をそのままに伝える、国の重要伝統的建造物群保存地区です。東西約150メートル、南北約420メートルにわたる街並みを歩けば、時代を超えた日本の原風景に出会えます。
江戸の商人町が今に息づく場所
高山市の三町地区は、上一之町・上二之町・上三之町・片原町・神明町4丁目の一部にまたがる、約4.4ヘクタールの保存地区です。国の重要伝統的建造物群保存地区(通称「伝建地区」)に正式に選定されたのは昭和54年(1979年)のことで、その後平成9年(1997年)にはさらに追加選定が行われました。現在、地区内には伝統的建造物が172棟にわたって現存しており、日本を代表する歴史的街並みのひとつとして国内外から多くの旅行者が訪れています。高山を訪れた旅人がこの地区に足を踏み入れると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えるといわれます。
金森氏が築いた商人の城下町
三町地区の歴史は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて飛騨を支配した大名・金森氏の時代にさかのぼります。金森氏は高山を城下町として整備する際、城を取り囲む高台を武家屋敷、その一段下の平地を町人の町と定めました。特筆すべきは、この町人地の広さです。全国の城下町では平均して武家地が7割、町人地が3割とされるなか、高山では町人地が武家地の1.2倍もの面積を占めていました。これは、商業経済を重視した金森長近の姿勢の表れであり、商人が繁栄するための基盤が早くから整えられていたことを示しています。
城下町の中心へは東西南北から街道が引き込まれ、飛騨における政治・経済の中心としての機能を担いました。金森氏が治めた107年間の後、江戸幕府の直轄地となってからも157年間にわたり、高山は独自の商業都市として発展を続けました。明治初期には人口1万4000人を数え、岐阜県内で最大の都市であったといわれています。しかしその後、都市化の波は他地区より大幅に遅れ、昭和9年(1934年)の高山線開通をもってようやく近代化が進み始めました。
住民の手で守り続けた街並み
現在の三町地区の美しい街並みが今日まで保存されてきた背景には、地域住民の粘り強い努力があります。きっかけのひとつは、昭和30年代後半から観光客が増えるにつれて汚れが目立ち始めた宮川と町の環境をよみがえらせようという市民の気運でした。子どもたちが宮川に鯉を放流することから始まったこの取り組みは、やがて市民運動へと発展し、町全体の景観保全へとつながっていきました。
昭和41年(1966年)には「上三之町町並保存会」が結成され、会員が新築・改築の際には自主的に町並みにふさわしい外観を保つことが申し合わされました。その後、昭和48〜49年には奈良国立文化財研究所による本格的な学術調査が実施され、昭和52年に高山市が伝建地区保存条例を制定。昭和54年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される運びとなりました。現在も地区内には恵比須台組町並保存会・上三之町町並保存会・上二之町町並保存会・片原町景観保存会の4団体が活動しており、研修旅行や自衛消防隊による防火訓練、街並み保存に関する話し合いが自主的に続けられています。
江戸建築の造りと空間の妙
三町地区の建物には、江戸時代の商家建築に特有の様式が随所に見られます。道路に面した部屋は「ミセ」と呼ばれ、商売の場として機能していました。建物の間口は3間から4間(約5.5〜7.3メートル)と比較的狭く、奥に向かって深く伸びる構造が特徴的です。屋根の高さは4.5メートルほどと抑えられており、通りを歩くと建物が密集した独特の雰囲気を味わえます。
内部では、吹き抜けを活かした天井の構造が目を引きます。一見すると窮屈に思えるかもしれませんが、中に入って見上げると空間が大きく開けており、細い光の帯となって差し込む自然光の美しさは格別です。現代建築にも通じる洗練された設計の妙が感じられます。国産の良材をふんだんに使い、丁寧に建てられたこれらの建物は、現代では素材・費用の両面から同じものを建てることが難しいほどの品質を誇っており、それゆえ「壊すのはもったいない」という感覚も保存を後押ししてきました。
保存と生活が共存する街として
三町地区の特筆すべき点は、単なる観光地としての保存ではなく、住民が実際に生活しながら街並みを維持しているところにあります。一方で、現代のライフスタイルとの折り合いをつけることは容易ではありません。部屋数が少ないため子ども部屋の確保が難しいこと、軒高が低くて2階の居室が窮屈になりがちなこと、採光できる部屋が限られ冬は厳しい寒さになること、間口が狭いため土産品販売に支障が生じることなど、生活面での課題も少なくありません。
それでも住民が三町の街並みを守り続けるのは、この地区が高山の人々の誇りそのものだからです。高山市伝統的建造物群保存地区保存条例によって地区内の建築は規制されており、外側の景観保存地区でも市街地景観保存条例による緩やかなルールが設けられています。昭和9年の高山線開通以降、商業の中心が別の町内へ移ったことで皮肉にも再開発の波を免れた三町は、住民の誇りと先人が残した建物の確かな品質に支えられ、今日もその姿を保ち続けています。歴史を感じながら散策できる三町の街並みは、訪れた人々に深い感動と日本の原風景の記憶を刻み込んでくれるはずです。
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